私はベトナムのホーチミンに住んでいた頃、家を3度ほど変えている。
その中でも忘れられない家は、日本円にして月額1万4千円弱という破格の家賃を誇る18 BIS Nguyễn Thị Minh Khaiにあるベトナム人学生下宿用の一軒家の一室であった。
当時の私は、日本では一部上場している運送会社で働いていた。
ある日、本社の社長が来越し、その夜は食事会となった。
駐在員・現地採用がずらっと座り、社長はなんと私の対面に座っていた。
会話の中で社長は私の右の人から時計回りに1人1人家賃を聞きはじめた。
私の右から始まったということは、最後は当然私のところに来るわけだが、駐在員共が10万円、20万円と私の給料とも変わらないような家賃を伝えている中、私の番が来た。
私「1万4千円弱です!」
一部上場企業の社長「え?それ1日かい?月額か!やっぱりな、お前ら駐在員は騙されているんだ!これからは家賃を見直さなあかん!」
もちろん、社長なりの冗談ではあったが、そんな冗談が成立するほどあり得ない場所に住んでいた。
その下宿先の魅力はバルコニーのでかさである。
なんと私が借りようとした部屋(4メートル四方)よりでかかった。
おそらく5メートル四方はあった。
このバルコニーでビール片手にハンモックという生活を夢見た。
本当であれば外国人は住めない様なところを巧みな交渉術で乗り切り、ビザの登記上の住所を当時所属していた会社オフィスにすることでそれは実現した。
シャワーもトイレも部屋にはなく、いちいち一階にある大家のシャワーやトイレを使う必要があった。無論、温水などでない。
私の部屋は三階(屋上)にあり、正直シャワーを浴びに一階まで行くのは億劫であった。
屋上には私の部屋、バルコニー、洗濯室の三つの空間があった。
大家との交渉の結果、洗濯室にある洗濯機を外に出してシャワールームとして使う許可を得た。
これで一階まで行く必要はなくなったわけである。
一階でもここでも温水は出ないなら、ここでいいわけだ。
トイレばかりは一階まで降りる必要はあったが、生活はいくらかマシになった。
“シャワールーム”といったが、蛇口がひとつぽつんと存在しているだけで、地べたに座っても蛇口に肩を当てるので精一杯、頭は半分土下座する形で洗っていた。
さすがにこの状況は改善する必要があったので、まずバケツを購入した。
このバケツに水をある程度ためておいて、小さな桶で水をぶっかける。
蛇口からシャワーへ一歩近づいたわけだ。
そこから一気に現代人の生活に近づき始めた。
なんと“温水”をバケツ一杯にする術を手に入れたのだ。
まあ温水といっても20~25度程度の温度だが、体を洗う抵抗が一気に減った。
常夏のホーチミンとはいえ水で体を洗うには覚悟が必要であった。
そこで体を水で洗うには『順序』が重要になる。
まず足から洗う。
なぜかといえば足はあまり寒さを感じないからだ。
そこから頭を洗う。
なぜかといえば頭はあまり寒さを感じないからだ。
水の温度に体を徐々に慣らしていって覚悟を決めて背中やおなかを一気に洗うのだ。
一回被ってしまえばどうって事はないのだが、そこまで行くのに毎回覚悟が必要である。
温水の作り方は極めて原始的ではあるが、電気ケトルでお湯を温めてバケツにぶち込み、蛇口から水を注いで温度を調整する。
これはベトナム人の一般家庭で行われているやり方だそうだ。
単純明快だが、案外楽でいい。
ベトナムの一般家庭で使用される電圧は220v。
お湯を作るのに必要な時間は精々3分位ではあるまいか。
電気ケトルでお風呂のお湯を沸かすという一見すれば不思議な光景だが、当時は当たり前となってしまった。
半年くらいそんな生活を送った。
会社勤めも慣れてきて、金銭的にも多少余裕が出来てきた頃であった。
人間はさらに楽を、良い生活を欲するようで2階の部屋も借りることにした。
とにかく1階までトイレで向かうのが面倒だった。
2つの部屋を借りても掛かる金額は精々2万7千円程度。
2階の部屋にはシャワーもトイレもついていた。
ただ温水がなかった。
そこで今度はシャワー用の電気給湯器を買ってきて取り付けた。
実はそこまで高くなかった。確か据え付け作業込みで2〜3万円くらいだったと思う。
ここまでくると普通の生活とあまり変わりはない。
ベトナム人でも逃げ出すような生活からスタートし、気づけば部屋を2つ、きちんと温水の出る生活を送っていた。もちろんバルコニーにはハンモック付きだ。
このバルコニーにも忘れられない思い出がある。
屋上の部屋だけを借りていた頃の話だ。
ある日私は部屋で眠っていた。
目が覚めてふと部屋に置いてあった荷物を見ると水にぬれていた。
その日は雨だったが、「え?雨漏り?」というには余りにひどいぬれ方であった。
よく見ると外から水が入ってきていた。
起きたばかりで混乱していたところ、大家や2階の住民が大慌てで上に上がってきた。
解説すると、この広いバルコニーは天の恵みである雨を一身に受けるのに十分な受け皿であった。
余りの大雨で処理できる水量を大幅にオーバーしており、水は私の部屋はおろか、3階から1階まで滝の如く流れていた。
大家やその家の住民みんなが一緒になってその水を処理した。
今思えば笑い話なのだが、当時は笑える状況では決してなった。
このように18 BIS Nguyễn Thị Minh Khaiの家は私にとってはいろいろ思い出深いであったが、外国人労働者としてそこに住み続けるにはやはりリスクがあるため、最終的には引っ越した。
何もかも手探りでベトナムで生活する私にとって当時の生活の記憶は今も深く脳裏に刻まれている。
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